信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

古田人形 風除け祈願のために始まった人形芝居

県選択無形民俗文化財 【箕輪町】

由来・次第

 古田人形の始まりは、享保の頃といわれる。上古田(上伊那郡箕輪町)では風害があり、困った農民たちは、享保14年(1729)風除け祈願のため人形操りを行ったところ風がおさまり、そこで毎年8月に氏神の祭礼に人形操りを行ったとの記録がある。
 人形芝居が本格的になったのは、安永年間(1772~1780)淡路から市村久蔵が来てからで、久蔵は唐澤家の借地に家を建てて住み、その家で人形の操り方を村人に教えた。久蔵の指導により近郷・近在はもとより諏訪・松本まで興行、文化6年(1809)2月には高遠城内へも招かれて上演するほどであった。久蔵が亡くなったあとは、先に上郷黒田に住み着き人形の指導をしていた吉田重三郎が指導した。寛保3年(1743)から52年間続いた祭礼操りが、この頃流行してきた歌舞伎をやりたいという若者と対立するようになり、一時操りは衰退したが、文政7年(1824)に淡路の吉田時蔵が来てから再び盛んになり、祭礼に操りと狂言を一年交替で行うようになった。
 明治時代には衰退したが、村の有志が人形芝居を復活させようと大正13年(1924)甲子団を発足させ各地で公演を行った。甲子団はその後古田人形芝居保存会と名称を変え活動を続けている。現在は、12月第1土曜日に、箕輪町文化センターで、地元箕輪中学校と箕輪西小学校と保存会による定期公演が行われている。

(写真 箕輪町教育委員会)

●開催日/12月第1土曜日
●開催地/箕輪町文化センター

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