信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

今田人形 300年前より受け継がれる人形芝居

国選択無形民俗文化財 【飯田市】

由来・次第

 伊那谷の人形芝居の歴史は古く、正保4年(1647)名古屋の幅下団兵衛が下條村吉岡で興行した記録がある。今田人形は、宝永元年(1704)7月、今田村八幡社祭典に初めて人形操りを上演するため、観音講で資金を出し合って野池村(飯田市千代)から人形芝居の諸道具を譲り受け、さらに不足分は京都から人形を取り寄せたという記録がある。その後、天保の倹約令や明治に入っての鑑札制度による厳しい取締りを潜り抜け、春秋2回の奉納人形芝居を継承してきた。今田人形の最盛期は明治の初めと考えられ、今田の名人と呼ばれる人も誕生し、毎年禰宜の木下家で操りをするときは木戸の前売りをするほどだったという。
 明治21年(1888)に今田人形座を結成。戦争期など暗い時代には人形芝居も衰微したが、龍江村長木下仙が中心になって青年団に呼びかけ、昭和25年(1950)座員16人までに復活をみた。木下仙の息子迪彦は、今田人形の生きる道を模索し続け、竜峡中学校の人形クラブの育成や、新作「夕鶴」や「小太郎物語」を創案。これが座員の若返りにもつながった。
 定期公演は10月中旬の日曜日の午後に大宮八幡宮秋季大祭にて上演され、またその前夜には和蝋燭に照らされての上演も行われている。

(写真 飯田市教育委員会)

●開催日/10月中旬の土・日曜日
●開催地/飯田市龍江 大宮八幡宮

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