信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

五束の太々神楽 藩主の命により奉修された気品のある舞

県指定無形民俗文化財 【飯山市】

由来・次第

 飯山市五束の健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけのじんじゃ)に伝わる太々神楽は、天下泰平、五穀豊穣の祈願のため、春と秋の例祭に奉納される。この神社の創建は奈良時代にさかのぼるといい、古くからこの地方の豪族や領主から保護を受けて大切にされ「五束の大宮」と称されていた。太々神楽も古くは「五束大宮太々御神楽」といった。
 神楽の起源については、明らかではないが、高橋社家所蔵の『大宮太々御神楽例書』には、延宝2年(1674)3月、飯山藩主松平忠親(忠倶)の仰付によって奉修されたことが記されている。神楽面には、室町時代末期の作と鑑定されているものもあるので、その起源は古いものと思われる。
 五束の神楽は、出雲流神楽の流れをくむものであるが、歳月の経過とともに巫女神楽や伊勢流神楽の湯立、献湯行事なども取り入れて多彩なものになりながら推移してきたと考えられている。
 昭和7年(1932)までに伝えられたものは32曲。そのうち昭和47年(1972)まで伝わったものは17曲である。現在は偏倍、身曾岐(みそぎ)、翁、恵比寿、鈴神楽、二柱(ふたばしら)、四方三礼、岩戸開きの8曲が舞われており、その中より4曲から5曲が選ばれて毎年奉納されている。「岩戸開き」を必ず最後とするほかは、順不同で演じる。力強くしかも気品にあふれた舞である。

●開催日/5月連休初め、9月23日
●開催地/飯山市五束 健御名方富命彦神別神社

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