信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

下伊那の掛け踊り 山深い集落に伝承される盆行事

国選択無形民俗文化財 【天龍村】

由来・次第

≪下栗の掛け踊り≫
 飯田市上村下栗の掛け踊りは、約450年前から伝わり、受け継がれてきたといわれる。村の産土様(うぶすなさま)をはじめ神仏をまわる盆行事として発展してきたが、夏の日照に行った雨乞い踊りであるとの解釈もある。干ばつに苦しんだ住民が素朴な舞を神々仏たちに踊りかけ雨乞いするとともに、豊穣を祈願予祝するために伝えられた願かけ踊りとして伝わる。
 8月15日の午後、十五社大明神の社に集まり神前で、太鼓、笛、鉦の囃子で歌にあわせて踊る。以前は村内数カ所を巡って踊られていたが、現在は省略されている。

●開催日/8月15日
●開催地/飯田市上村下栗 十五社大明神

 

≪坂部の掛け踊り≫
 伝承では、寛政元年(1789)に七日七夜にわたる大雨によって坂部本村の上の山に大きな地割れができたので、雨止めを願ってはじめたのがこの「願掛け踊り」であるという。しかし、明治41年(1908)までは大河内や向方と同じように新盆の家をまわる「新盆掛け踊り」があり、古い記録に盆に伴う和讃が書き留められている。
 8月14日晩、堂の庭(熊谷山長楽寺)と八幡森下の金毘羅様の庭で踊る。堂の庭での踊りは「ヒョウシ」「伊勢音頭」「願人踊り」を3回行い、「伽藍踊り」「御観音踊り」「阿弥陀踊り」といった和讃と踊りを行う。八幡森下の金比羅様の庭では庭踊りを行う。途中で「すくいさ」などの盆踊りを行い、再び堂の庭へ下り「引け踊り」を行い終了する。

●開催日/8月14日
●開催地/天龍村神原坂部

 

≪向方の掛け踊り≫
 天龍村向方では、昭和50年代にその形は途絶えたが、大河内と同じように新盆の家をまわる掛け踊りが行われており、死者供養の古い形をうかがわせる。
 8月14日晩は、長松寺で掛け踊りと盆踊りを行う。本堂を向いて整列し「庭入り(あいさつ踊り)」をし、「庭ほめ踊り」「かばらい踊り」「引き踊り(世の中踊り)」をしてジョウドまでもどる。
 8月16日の晩、午前零時になると、新盆の家が出したタイマツを燃やして、周囲に男たちが輪になって座り、「送り盆歌」を唱える。盆踊り最後の「八幡」を踊ってから「かんぴょえ踊り」をする。続いてマトオサンバ(的納め場)へと向かい、ここで燈籠を焼去し、「送り盆歌」を歌ってから、後ろを振り向かずに帰る。

●開催日/8月14日・16日
●開催地/天龍村神原向方

 

≪大河内の掛け踊り≫
 天龍村大河内の掛け踊りは、新盆の家をまわって新仏を供養する形を伝えている。死者に対するしっとりとした情感にあふれている。華やかさはないが、死者供養の古い形をうかがわせる。
 8月14日晩、祈願堂に集まって、和讃を唱えてから新仏の家を巡り歩く。「庭ほめ」「あかつき富士」などの和讃が唱和され、最後に「新盆おいとま」の和讃を唱えてから、次の新仏の家へと向かう。
 8月16日、午前零時が近づくと、踊り手は祈願堂に向かって、13本の旗にある愛宕大神、池大神などの神仏に対してそれぞれの和讃を唱える。最後に「八幡」を踊り、庚申様へと向かう。庚申様の碑に向かって「花の四節」と唱え、燈籠を焼去したのちに、後ろを振り向かずに黙って帰宅する。

●開催日/8月14日・16日
●開催地/天龍村神原大河内

▲ページの先頭に戻る