信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

島立堀米の裸祭り 子どもが主役の元気な祭り

県指定無形民俗文化財 【松本市】

由来・次第

 島立堀米の裸祭りは堀米の氏神である津島社の祭り。津島社は、江戸時代中期に尾張一宮の津島神社から勧請(かんしょう)したといわれ、牛頭天王(ごずてんのう)をまつる。牛頭天王は、古代インドの守護神で、疫病除けの神としてまつられる。
 以前7月1日であった祭りは、現在第1日曜日に行われている。かつて7月1日は堀米地区では農休みにあたり、子どもたちの元気のよい掛け声が聞こえてくると、家族は家の外へ出て、成長した子どもたちの姿を眺めるのが何よりの楽しみであった。また、この日にキュウリを食べてはいけないという禁忌を、現在でも守っている家もある。これは、津島社の神紋はキュウリの輪切りに似ているためとも、梅雨時期でお腹をこわさないためともいわれる。裸祭りは、自分たちの集落から疫病・悪霊を追い出してしまおうという強い思いが感じられる。
 7月第1日曜日に子どもたちは、堀米公民館に集まり、もっこふんどし姿になり、勢揃いして津島社に向かう。津島社で、疫病退散、五穀豊穣、厄除けなどを祈った後、午後3時頃、子どもたちは堀米本村地区と蛇原(じゃはら)・新田地区にわかれ繰り出す。6年生は親玉で大幟を担ぎ、4・5年生は中玉で中幟を担ぎ、1年生から3年生は小玉で五色の紙幟を持ち、親玉の「オンヤーサー」の掛け声に、中玉と小玉が「モンヤーサー」と応える。かつての集落境を一周し、再び津島社に戻ると幟をおさめ、子どもたちはかたわらの池に飛び込んで禊(みそぎ)をして終わる。

(写真 長野県教育委員会)

●開催日/7月第1日曜日
●開催地/松本市島立堀米 津島社

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