信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

大鹿歌舞伎 地芝居の原型を今日に伝える

国選択無形民俗文化財 【大鹿村】

由来・次第

 大鹿歌舞伎は、江戸時代に旅回りの一座により伝播した。明和4年(1767)の大河原村名主前島家の作方日記帳に、大鹿で地芝居が上演されたという記述があり、これが最も古い記録である。昭和40年代以前は、村芝居、地芝居、地狂言と呼ばれていた。大鹿歌舞伎は地芝居の原型を今日に伝えている。
 江戸時代、素人による歌舞伎上演は禁制だったが、神社等の境内に舞台を設け奉納芝居という形態で伝承された。大鹿村が隔絶した地域であることは、禁制の中での芝居上演には有利であった。これが今日大鹿村に歌舞伎が伝承芸能として残されている一つの理由でもある。現存する舞台は、大河原は上蔵(わぞ)の野々宮神社、下市場の大磧(たいせき)神社、鹿塩は塩河の市場神社、梨原の葦原神社の4舞台。明治年間までに建立された舞台は13カ所であり、険阻な山村にあって13カ所に及ぶ舞台の建築は村人の歌舞伎熱の高さを示し、今日まで大鹿歌舞伎を支える原動力となっている。
 春の公演は5月3日、大河原の大磧神社舞台で、秋の公演は10月の第3日曜日、鹿塩の市場神社舞台で上演される。現在上演されている主な演目は、大鹿村のみに伝承される源平合戦の後日談「六千両後日文章(ろくせんりょうごじつのぶんしょう)  重忠館(しげただやかた)の段」をはじめとして「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)  袖萩祭文(そではぎさいもん)の段」「鎌倉三代記 三浦別れの段」など15演目。春・秋の定期公演ではそれぞれ2つの外題が上演される。

(写真 大鹿村教育委員会)

●開催日/5月3日、10月第3日曜日
●開催地/大鹿村大河原 大磧神社(春)、大鹿村鹿塩 市場神社(秋)

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