信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

黒田人形 淡路の原型を伝える人形浄瑠璃

国選択無形民俗文化財 【飯田市】

由来・次第

 黒田人形は、元禄年間(1688~1703)に正命庵の僧侶正覚真海が村人に人形を教えたのが始まりと古文書の記録がある。寛政年間(1789~1800)には、淡路の吉田重三郎が下黒田(飯田市上郷)に定住し人形を教え、その後天保3年(1832)大坂から桐竹門三郎、続いて吉田亀造が来て同じく下黒田に定住して人形を教えた。こうして人形熱が高まり、天保11年(1840)には旧舞台を取り崩して、四間に八間総二階の舞台「下黒田の舞台」(昭和49年重要有形民俗文化財指定)を再建した。この舞台は人形浄瑠璃の専用舞台として、専門的な工法による建造物であり、日本最大で最古と三拍子が揃うと評されている。
 黒田人形を支えていたのは「明神講」と呼ばれる青年たちであった。その明神講にかわって、明治26年(1893)上郷青年会下黒田支会ができると、15歳から25歳までの殆どの青年が入会し、お祭り青年として人形上演を行った。昭和26年(1951)には、保存会が結成され、今日に伝承されている。
 明治初期までは、春秋の祭典に人形を奉納していたが、現在は4月第2日曜日とその前日に下黒田諏訪神社の境内にある人形専用舞台で春祭りの奉納公演として、土曜日の宵祭りと日曜日の本祭りで上演されている。いずれも最初に三番叟が上演される。淡路から伝わった三番叟の芸や型を伝え、「手」と呼ばれる古風な型を遺すといわれている。

(写真 黒田人形保存会)

●開催日/4月第2日曜日とその前日
●開催地/飯田市上郷 下黒田諏訪神社

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