信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

松本のコトヨウカ行事 厄病神を追い出しムラの安穏を祈る

国選択無形民俗文化財 【松本市】

由来・次第

 2月8日は、お八日・こと八日などと呼ばれ、道祖神の祭りをはじめ様々な行事が行われる。わらで大きな馬や百足(むかで)、足半(あしなか)などをつくり、これをムラ境に送ったり焼いたりして厄病神を追い払い、ムラの安穏や無病息災を祈る。

≪入山辺厩所の貧乏神送り≫
 公民館にわらを持ち寄り、貧乏神に見立てた大きなわらうまとジジ・ババと呼ぶ人形を作る。わらうまを中心に車座になり、数珠をまわし、念仏を唱える。その後、ジジ・ババをのせたわらうまを担ぎ薄川(すすきがわ)まで運ぶ。そこで念仏を唱え、焼き払う。

≪入山辺奈良尾の貧乏神送りと風邪の神送り≫
 神送りのわらうまと対の男女や馬方のわら人形を作り、できあがったわら人形に「南無阿弥陀仏」と書いた棒の刀を持たせ、わらうまにのせる。子どもが先頭となり、わらうまを綱で引きながら練り歩く。途中でわらうまを燃やしながら進み、隣の三反田との境で焼き、唱えごとをして疫病神を追い払う。

≪入山辺上手町の貧乏神送りと風邪の神送り≫
 作り物は、わらうま、ジジ・ババと呼ばれるわら人形一対、金剛杖と呼ばれる木の棒の3つ。ジジとババはわらうまにのせ、頭屋の玄関に入れ、みんなで鉦を叩きながら念仏を唱える。子どもは引き綱を持ち、大声ではやしながらわらうまを引く。わらうまは途中で火をつけられ村の入口で燃やし、灰になるまで見守られる。

≪入山辺中村の風邪の神送り≫
 わらを綱撚(よ)りして「追い出し」などと呼ぶ百足を作る。百足には、その年の上級生がのり、それを他の小学生と大人が念仏を唱えながら引く。集落境の六地蔵まで百足を引き、そこでぐるぐると巻いて道端に置き、厄病神を送り出す。粕汁を食べることなどから粕念仏などとも呼ぶ。

≪入山辺舟付の八日念仏と百足引き≫
 わらで百足を三つ編みにして長く作る。百足には草鞋と草履を片方ずつ履かせて厄病神にみたて、できあがった百足を石造物をまつるところまで運んでおく。公民館では音頭取りの鉦にあわせて数珠を回し、念仏を唱える。子どもが百足を引き、上の家から順にヌカエブシの跡を尾で払い、下(しも)で百足をまるめて焼き、厄病神を送り払う。

≪里山辺追倉のお八日の綱引き≫
 わらで綱撚りをして「龍」を作り、南無阿弥陀仏の掛け軸の前に飾り、料理を供え、皆で料理を食べる。その後、車座になり龍を数珠代わりに念仏を唱える。それが終わると男女に分かれて綱引きを行う。女性が勝つとその年の五穀豊穣、無病息災が確約されるという。勝つのは毎年女性である。最後に男性がムラ境まで龍を運び道祖神碑に巻きつけ、お参りをする。龍は守護神となって1年間ムラを見守る。

≪両島のお八日念仏と足半≫
 公民館に集まり、わらを編んで大きな足半を2つ作る。このほかに注連を4つ作り、足半に2つ結びつける。足半を並べて飾り、数珠代わりの縄について座る。真ん中に座った音頭取りの鉦の音にあわせて、縄を回してお八日念仏を唱える。念仏が終わると、足半を町の境の上と下に送り、高い木に結びつける。この足半を見て、巨人のいることに気づき、厄病神を防げるものとしている。

≪今井下新田の八日念仏と足半≫
 足半を巨人が履くものより大きく編み、片方ずつ5つ作る。編んだ足半と、栓を抜いた一升瓶にスギの葉をさして部屋の真ん中にすえる。そのまわりの数珠に参加者がついて、回しながら八日念仏を鉦の音にあわせて唱える。八日念仏が終わると、足半を道祖神をまつった場所などに運ぶ。巨人のいることに気づかせ、厄病神が入ることを防ごうとするものである。

●開催日/2月8日
●開催地/松本市入山辺・里山辺・両島・今井

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