信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

早稲田人形 神への奉納芸の形を色濃く遺す三番叟

国選択無形民俗文化財 【阿南町】

由来・次第

 早稲田人形についての記録はほとんどなく「文化七年八月梅田」と記された肩板1枚と「文政三年」「文政十一年」「文政十二年」と年号を記した浄瑠璃本が地元に残るのみで起源については不明。早稲田へは明治8年(1875)大阪から吉田朝造が来て人形を教え、その後も何人かの人形遣いが入り、明治から大正にかけ最盛期を迎えた。昭和になると一旦は衰退したが、昭和22年(1947)保存会を結成して再興を図った。
 早稲田人形芝居は、8月第4日曜日に早稲田神社本祭で上演される。氏子や初詣の乳児の無病息災を祈念して三番叟が奉納される。人形遣いは3人とも白の裃に白袴装束であり、神に対する奉納芸の姿をとどめている。三番叟が終わると、三味線や浄瑠璃にのって人形芝居が始まる。
 1月第2日曜日には、人形仕立の神送りが行われる。幣束を持った人形を先頭に幾体もの人形が続き、早稲田地区のはずれにある神送場まで行列を進める。神送場に着くと神輿から依代を取り出して送る。かつては火縄銃を打っていたが今は花火を打ち上げて、それを合図に一同後ろを振り返ることなく引き上げる。これは、疫病送りとか虫送り、風邪の神送りといった古い時代からの土俗信仰が、いつのまにか人形と結びついたものと考えられる。年の初めに行われていた行事で、1年間の無病息災を願うものである。

●開催日/8月第4日曜日(人形仕立の神送り...1月第2日曜日)
●開催地/阿南町西条 早稲田神社

▲ページの先頭に戻る