ふるさとの文化財を守り伝える心

Vol.11 一体一体に思いを込めて 信濃国分寺と蘇民講の人々

およそ1250年の歴史をもつ上田市の信濃国分寺は古くから「八日堂」の名で地域の人々に親しまれ、毎年1月7日・8日の
八日堂縁日には多くの参詣者でにぎわいます。ここで除災招福を願って頒布される蘇民将来符(そみんしょうらいふ)(上田市有形民俗文化財)は、全国各地で伝承されている蘇民将来符に由来する習俗の典型的な例と考えられ、その製作や頒布について伝統的な儀式やしきたりがみられるなど地域的特色が豊かだという理由で、平成12(2000)年には「上田市八日堂の蘇民将来符頒布習俗」が国選択無形民俗文化財に指定されています。
この蘇民将来符の製作にあたるのが、古くから国分寺の門前に居を構える「蘇民講(そみんこう)」と呼ばれる人々です。
蘇民将来符は、ドロヤナギの原木を蘇民包丁や突ノミといった道具を用い、すべて手作業で六角の塔形に作られます。形ができあがったものには、国分寺住職や蘇民講の人々が墨と朱で「大福長者蘇民将来子孫人也」の文字や紋様を書き入れます。
「製作中は余計なことは考えていられませんよ。話もできない。真剣そのものだね」と親子3代にわたり製作にあたってきた宮沢利二さん(75歳)は言います。
江戸時代には37軒あったといわれる蘇民講の家も時代の流れの中で現在13軒にまで減少し、後継者問題に直面しています。「蘇民講には蘇民将来符を作ることができる特権があります。永い間地元に住み続けてきた人だけが作れるという誇りもある。でも、見直すべき時がいずれくるかもしれない」と蘇民講代表の山越勝雄さん(80歳)は複雑な表情を見せます。
全国から買い求めに来る多くの人々への除災招福の願いを込めて一体一体作られる蘇民将来符。時代の流れで蘇民講のかたちが変わることがあろうとも、自分たちが守り続けてきた伝統を受け継いでいこうという強い思いがある限り、蘇民将来符は作り続けられることでしょう。


信濃国分寺が製作する蘇民将来符には魔除け・厄除け・災い除けを意味する紋様が描かれる


蘇民講が製作する蘇民将来符には七福神などその家独特の絵柄も描かれる

一体一体に下書きをした後、まず墨で描き、その後朱をいれていく。根気と集中力が必要な作業

1月8日の朝は蘇民講が製作した蘇民将来符が頒布される。朝早くから多くの人が並び、縁起物として買い求めていく

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