ふるさとの文化財を守り伝える心

vol.28 精魂込めて鎌を打つ 信州鎌の技法

私たちの暮らしの中でもっとも身近な農具である鎌は、地域ごとに多種多様なものがあり、その土地に適する固有の地鎌が育てられてきました。信州鎌もその一つで、約450年前、川中島合戦に従軍した刀鍛冶がその技術を伝えたといわれています。主な産地である信濃町古間、柏原では、長い冬の副業として鎌鍛冶業が発達し、最盛期の明治末期には、年間約80万枚の鎌が生産され、「全国至らざる所なし」といわれるほど全国各地へと流通していました。
信州鎌とは、この地域で独特な発展を遂げた「片刃の薄刃草刈り鎌」を指しています。この地の鎌産業が栄えた理由には、改良を加えて伝承された信州鎌の製造に加えて、型の異なる全国各地の地鎌を問屋の注文に応じて自由に作ることができる高度な技術にありました。「使い手に満足してもらえるように考えながら、一枚一枚鎌を作っています」。信濃町古間で長年鎌鍛冶業を営む小坂重夫さん(70歳)の朴訥とした語り口に、常に良質な鎌を求め、技術を高めてきた職人の姿がうかがえます。
昭和の前半までこの地に鎚音を響かせてきた鎌鍛冶業も、農家数の減少に加え、農具の機械化や、安価な外国産鎌の流入などにより、衰退の一途をたどっています。信州鎌の活路を切り開くために結成された信州打刃物工業協同組合では、ほかの産地の鎌と差別化を図り知名度を高めようと、昭和57年に国の伝統的工芸品の指定を受け、平成19年には「信州鎌」の商標登録をしましたが、その成果はまだ見えてきません。
「問屋や使い手に自分の鎌の評判を聞いて改良してきました。しかし問屋も、鎌の使い手も減ってしまった」そう語る小坂さんが作った鎌を手に取ると、量産品にはない手作りの味わいが感じられます。工芸品としての美しさも備えた信州鎌は、その実用性と磨きあげられた技術で私たちの暮らしに潤いをあたえてくれます。毎年、地域の伝統産業を学ぶために小学生が鍛冶場の見学に訪れているそうですが、こうした信州鎌を知る機会の広がりが、信州鎌で培われた技術を生かし伝統を守るための原動力になるのかもしれません。

自宅に隣接する鍛冶場で鎌を打つ小坂さん。「ならし」といわれる製造工程では、熱した鎌の表面を手鎚で打って整える。小坂さんは現在、鍛冶業、問屋を含めた組合員数25名の信州打刃物工業協同組合の理事も務めている。後継者や技術の継承者もなく、取り巻く環境は極めて厳しい。

信州鎌の技法(昭和47年 長野県選択無形民俗文化財)
主に信濃町・旧牟礼村(現飯綱町)を中心に製造される鎌を信州鎌という。信州鎌は片刃の薄刃が特徴で、刈り取った草が手元へ寄せられる「芝付け」加工、刃面を内側に湾曲させる「つり」加工などに独特の工夫がある。その技術は徒弟制度により親方から弟子へと伝承されてきた。

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