ふるさとの文化財を守り伝える心

Vol.22 踊りに願いを込めて 下栗のかけ踊り

400年近く前から受け継がれてきたとされる「下栗のかけ踊り」は第二次大戦中、諸々の理由から中止を余儀なくされましたが、踊りを残していこうという村人たちが中心となって昭和47年頃に復活されました。神仏をまわる盆行事とも、念仏踊りが雨乞い踊りに変化したものとも言われています。
飯田市上村の下栗地域は「日本のチロル」と呼ばれ、南アルプスを間近にした標高800~1100mの急傾斜地にわずかな耕地や民家が点在しています。傾斜30度余の山腹にある下栗では、その環境から夏の干ばつがひどく、雨乞いをして豊穣祈願する願かけ踊りがおこなわれていました。人々は下栗の集落から数時間かけて「お池」(御池山)まで水をもらいに行き、それを神社におさめて降雨を祈願していたと言われています。その道中では、各所で歌や太鼓の音を天に響かせ、踊りを奉納しました。それほど、この地では雨水は切実なものでした。
水道が整備された今日、干ばつの心配はなくなり、雨乞いの意識は薄れましたが、毎年8月15日に人々は拾五社大明神に集まり、かけ踊りはおこなわれています。しかし、かつては400人いた人口も120人に減少、中学生以下は8人と、過疎化は深刻です。今後、集落そのものがなくなってしまうかもしれないという危機感すら住民の多くが抱いています。
「下栗に暮らす者にとってかけ踊りは大事なもので、ここにいる限りは続けていく責任があります。やめてしまったらご先祖様に対して申し訳ない」。保存会長の熊谷清登さん(69歳)の表情はたいへん穏やかですが、語る言葉は力強く、この踊りと下栗の集落を守っていきたいという思いにあふれていました。雨乞いのために受け継がれてきたかけ踊りですが、下栗の集落そのものの存続への願いが込められているのかもしれません。

"東西 東西 おしずまれ 鎮めてお歌をお聞きやれ・・・・・"

今年も、来年も・・・夏にはこの古調のメロディーが山間(やまあい)に流れることを願って下栗の集落を後にしました。

「下栗のかけ踊り」(平成11年 国選択無形民俗文化財)
踊りは囃子と歌に合わせ、浴衣・鉢巻姿の「太鼓持ち」が太鼓を左右にまわし、「打ち手」が踊るような所作でそれを打ちます。「棒振り役」は紅白の棒をまわし、紅色の着物に菅笠をかぶった女児の踊り手「子女郎」が体を左右によじり笠を振ります

急斜面を拓いた畑では、特産の下栗芋(二度芋)のほか、雑穀類、お茶などの作物が栽培されています。この二度芋を用いた味噌田楽は、米作がほとんどおこなわれない遠山郷の晴れ食として、貴重な食文化になっています

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