ふるさとの文化財を守り伝える心

Vol.18 人々の支えのなかで 大宮諏訪神社の狂拍子と奴踊り

かつての「塩の道」千国街道に並行して流れる姫川の支流、中谷川に沿って北安曇郡小谷村中谷郷と呼ばれる集落が広がります。この集落にある大宮諏訪神社では、8月最終日曜日に例大祭が行われ、狂拍子、奴踊り、獅子舞の芸能が奉納されます。狂拍子は古来より小谷村に伝わる芸能で、かつて村内の神社八ヵ所で奉納されていましたが、老齢化や子どもが少なくなったことで多くが途絶えてしまいました。舞は祖先たちへの豊年や増産への願いを表現したもので、10歳くらいの男子2人が陰陽合体を意味するといわれる舞を踊ります。舞手の前方の子は二本、後方の子は飾りのついた長めの一本の棒を持ち、笛や太鼓のお囃子に合わせて踊るその姿は軽快です。
大宮諏訪神社の狂拍子は昭和54年から地元の中土小学校が授業の一環として保存活動を行っていましたが、平成13年からは、学校を介した地域の人々によって立ち上げられた保存会で継承活動を行っています。
吉田公人さん(49歳)によると、保存会の立ち上げ当時、中土小学校の全校児童はおよそ30名。豊かな自然に恵まれた土地柄を気に入り都会から移り住んだ人々や山村留学生など、子どもの半数が村外からの転入者でした。子どもが少なかったため、学校行事やお祭りに大人も一緒に関わることで地域の仲間として人々の絆も深まったそうです。
しかし、近年は小学校の統廃合や山村留学の休止など、子どもを取り巻く環境が大きく変化し、継承の先行きに不安が募ります。「過疎が進み、お祭り自体が負担になっている声も聞かれます。しかし、ここに暮らす人がいるかぎりは、先祖から受け継いだ舞を伝えていきたい」吉田さんの胸中は複雑です。
それでも「狂拍子の稽古はいつからやるの」と春先から稽古を気にかける子どもたちや、稽古に顔を出して舞い方を指導する地元の人々、「伝統文化を守りたい」と率先して参加する村外から移り住んだ人々がいます。狂拍子はこうした中谷郷に暮らす人々の支えによって受け継がれています。

狂拍子の稽古は6月より7~8回、平成18年3月に廃校となった中土小学校体育館で舞とお囃子に分かれて行う。前年の舞手が翌年の舞手に舞い方を伝え、地元の指導者から指導を受ける。「お祭りの稽古は大変だと思ったことはありますが、つらいと思ったことはありません。友達と一緒の稽古は楽しいです」と吉田純さん(16歳)は当時の稽古の様子を語る

「奴踊り」は「狂拍子」とともに平成3年2月長野県無形民俗文化財指定。奴踊りは「奴をふる」といい、毎年12人の奴が庶民の声や願いを詠んだ歌を神に奉納することに特色がある。歌は寄りあいで作詞され、例大祭当日まで極秘とされている

▲ページの先頭に戻る