ふるさとの文化財を守り伝える心

Vol.09 人形浄瑠璃を受け継ぐ中学生 竜峡中学校今田人形座

今田人形芝居は、宝永元年(1704)に氏神の祭りを賑わそうと隣村や京都から人形を買い求めて奉納したことで始まりました。全国を巡業していた人形遣いたちが技術を伝え、時代のうねりのなかで盛衰を繰り返しながらも、地域の人々の熱意と努力で300年以上受け継がれてきました。
昭和53年(1978)飯田市川路の竜峡中学校では、地域の伝統芸能を学び伝承しようという目的で郷土クラブ・今田人形班を発足し、地元の「今田人形座」の助けを借りて人形芝居を始めました。平成12年(2000)からは総合的な学習の時間のなかで、毎年40人前後の生徒が今田人形座の木下文子さん(65歳)の指導を受け人形芝居の稽古に励んでいます。
生徒は1年間の練習期間で自ら演じたり他の生徒の演技を見ながら人形の遣い方を覚えていきます。「何度も同じことを言われると練習が辛くなってしまう...」。木下さんの厳しい指導に生徒は時に弱音を吐きます。でも、一生懸命舞台で演技することが生徒のそんな気持ちを少しずつ変えていきます。
「演技中は夢中で何も考えられなかったけれど、拍手をもらえると苦労して練習してよかったと思います」。目を輝かす生徒をみつめ、木下さんも「芝居を見て人が泣くのは、人形遣い3人の心が繋がり、人形が表情をあらわすからでしょうね」とうれしそうにほほえみました。
毎年、卒業生が何人も今田人形座に入ります。ここでは20年以上人形遣いをしてきた先輩でも「まだ納得がいかない」と技をみがき続けています。今はかけだしの生徒も、年数を重ねるごとに人形芝居の一筋縄ではいかない奥深さを感じていくのでしょう。己の技に溺れない先輩や地域の温かいエールを受けて、彼らは今田人形を支える強い根になっていきます。

「小太郎物語」の一場面

今田人形
昭和50年に黒田人形・早稲田人形とともに「伊那の人形芝居」として国選択無形民俗文化財の指定を受ける。大阪文楽人形浄瑠璃と同系統。毎年10月第3土・日曜日、大宮八幡宮に奉納される。「小太郎物語」は長野県の民話をアレンジした今田人形オリジナルの外題。浄瑠璃が地元の方言で語られ、三味線はギターに代わり、子どもも親しめるように劇中歌も入れられた。

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