長野県の芸術・文化情報センター公益財団法人 八十二文化財団
指定区分・種別 | 町-指定-史跡 |
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内容 | 交通・通信施設 |
指定年月日 | 昭和 44/11/06 |
時代区分 | 江戸時代 |
年代 | 江戸時代 |
作者 | |
所在地 | 上水内郡飯綱町牟礼1001・121 |
寸法・材質・形状 | 東塚-高さ1.7m、西塚-高さ2.0m |
概要解説 | 一里塚は街道の目印として一里(約4km)ごとに2基一対で設けられた塚で、江戸幕府が江戸日本橋を起点に慶長9年(1604)ころ整備したとされる。当初は五間(約9m)四方の盛土で、エノキなどの樹木が植えられたという。この塚の近くにも四ツ屋のエノキ(飯綱町天然記念物)があってその名残と考えられている。塚は明治時代に撤去が進んだこともあり、現存するものは全国的に数少ない。飯綱町には北国街道とその脇道に5カ所の一里塚があった記録があるが、現存しているのは四ツ屋のみである。また追分宿(軽井沢町)から高田宿(上越市)までの北国街道34里弱の間には、本線・支道など41カ所に一里塚があったらしいが、本線を挟んで一対で完存するのは唐松(小諸市)・野尻(信濃町)と四ツ屋だけである。多くの一里塚が失われた現在では、街道とともに完全な配置で残る一里塚は希少な存在であり、近世交通史上の貴重な史跡である。 |
交通案内 | しなの鉄道牟礼駅から車で5分、上信越自動車道信州中野ICから車で20分 |
※ご注意ください:すべての文化財は見学が可能とは限りません。見学の際は、事前に関連する教育委員会へお問い合わせください。
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