長野県の芸術・文化情報センター公益財団法人 八十二文化財団
| 指定区分・種別 | 市-指定-有形文化財 |
|---|---|
| 内容 | 歴史資料 |
| 指定年月日 | 令和 06/06/26 |
| 時代区分 | 昭和時代 |
| 年代 | 昭和時代 |
| 作者 | 清澤 洌 |
| 所在地 | 安曇野市堀金烏川2753-1(安曇野市文書館) |
| 寸法・材質・形状 | |
| 概要解説 | 清澤洌は旧北穂高村青木花見出身(現安曇野市穂高北穂高)のジャーナリストで、明治36年(1903)に研成義塾に入り井口喜源治のもとで学んだ。清澤は戦時日本を起点とする日本現代史執筆を戦争終結後に始めることを構想し、昭和17年(1942)12月からそれまで断片的につづっていた日記を再開し、昭和20年(1945)5月満55歳での突然の死まで書き続けた。清澤没後、この『戦争日記』は『暗黒日記』として刊行され世に知られることになった。清澤については現在、北岡伸一の『清沢 洌 外交評論の運命増補版』により、傑出した外交評論家・自由主義的言論人としての足跡が広く一般に知られるようになった。平成25年(2013)5月2日付で、清澤のご遺族から清澤所蔵の資料が寄贈された。これらの資料は清澤の生涯・足跡・交友範囲を如実に後世に伝える貴重な資料として令和6年(2024)に安曇野市有形文化財の指定となった。資料は、『暗黒日記』原本を含み、著作多数、来簡多数、自筆原稿、写真帳、関連書類などから構成される。 |
| 交通案内 | JR大糸線豊科駅から車で約6分(約3km)、長野自動車道安曇野ICから車で約10分(約5km) |
※ご注意ください:すべての文化財は見学が可能とは限りません。見学の際は、事前に関連する文化財保護行政主管課へお問い合わせください。