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県宝

小田切家所蔵高遠城二ノ丸厩稲荷本殿・上家及び奉納品類 オタギリケショゾウタカトオジョウニノマルウマヤイナリホンデン ウワヤオヨビホウノウヒンルイ 106点

指定区分・種別県-指定-県宝
内容歴史資料
指定年月日令和 5/03/16
時代区分江戸時代
年代江戸-明治初期
作者
所在地上伊那郡宮田村5833
寸法・材質・形状稲荷社本殿-身舎正面柱間303mm(1尺)・側面柱間510mm(1尺7寸) 一間社流造・こけら葺  稲荷社上家-梁間1間(182cm)・桁行5/6間 (152cm)、屋根を含めた最大幅326cm・奥行286cm・高さ2,606cm 木造切り妻造り・瓦葺(他略)
概要解説近世高遠城内に所在した3つの稲荷社の内の1つ、「厩稲荷」の本殿・上家及び関連する奉納品類。当初、高遠城二ノ丸内に所在したが、明治5年(1872)の廃城の際、高遠城に縁のある中越村(現宮田村)の小田切家に移された。奉納品は、御神体(和鏡)をはじめ、稲荷狐、神札入れ、燭台、鰐口、絵馬、色絵徳利、神社幕、幟、鈴、馬鈴、獅子頭、獅子胴幕、矢筒、矢、法螺貝、宮太鼓、締太鼓、洋太鼓、鞍、鐙、轡、馬氈、障泥、旗指物、賽銭箱、銭箱、陶磁器収納箱など、多岐に及ぶ。この内、絵馬の1点は高遠藩最後の藩主、内藤頼直が幼少時に奉納したものである。また、幟は27点とまとまっており、最古の幟は寛延4年(1751)の年号が染め抜かれている。洋太鼓は、幕末期の高遠藩において採用された洋式調練の際に用いられたと見られ、高遠出身で東京音楽学校初代校長の井沢修二も鼓手を務めたことで知られる。近世城郭内祭祀や、御厩稲荷に対する藩士等の信仰のあり方、幕末期の軍制等を知り得る重要な資料群である。
交通案内JR飯田線宮田駅から徒歩40分、中央自動車道駒ケ根ICから車で9分

※ご注意ください:すべての文化財は見学が可能とは限りません。見学の際は、事前に関連する教育委員会へお問い合わせください。

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