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史跡

野田喜左衛門の墓 ノタキザエモンノハカ 1基

指定区分・種別町-指定-史跡
内容墓地
指定年月日昭和 62/05/19
時代区分江戸時代
年代
作者 
所在地上水内郡飯綱町赤塩5946
寸法・材質・形状高さ189cm、石造宝篋印塔
概要解説野田喜左衛門は、江戸時代に芋川・倉井堰(用水)などの延伸、改良を手がけ、今日まで用水の神様として尊敬されている人物である。寛永8年(1631)播磨国姫路に生まれ、のちに信濃国飯山藩に仕えた。寛文4年(1664)川除普請役を命じられて以降、治水事業を皮切りに灌漑用水の開削、改良を指揮した。元禄8年(1695)65歳で没した。この墓は、倉井堰の完成を喜んだ赤塩の人々が、喜左衛門に感謝の意を表すため、当時は最上のもてなしとされた生前の葬式(生弔)を行なった際に設けられたと言い伝えられている。なお現在に残る墓碑は、明治28年(1895)火災の後に再建されたもので、宝篋印塔の形式である。墓は七面社の境内にあるが、日蓮宗の守護神である七面大明神を深く崇拝した喜左衛門が、自分の死後は墓の傍らに七面堂をまつってほしいとの遺言により建立されたと伝えている。
交通案内しなの鉄道牟礼駅から車で10分、上信越自動車道信州中野ICから車で15分

※ご注意ください:すべての文化財は見学が可能とは限りません。見学の際は、事前に関連する教育委員会へお問い合わせください。

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