ふるさとの文化財を守り伝える心

Vol.10 伝統の花火にかける情熱 上清内路煙火同志会・下清内路煙火有志会

平成10年(1998)2月22日、長野冬季オリンピックの閉会式フィナーレに下伊那郡清内路村の手づくり花火が演じられたことは記憶に鮮明です。
「手づくり花火製造の秘法」は、江戸時代の享保年間、特産の「きざみ煙草」の行商に三河地方に出かけた村人が持ち帰ったと言い伝えられています。同じ時代、下伊那の他の地域にも三河花火が伝えられ、神社の奉納花火として盛んでしたが、現在は清内路村に残るのみです。取り締まりの目を盗んで自家の納屋や山小屋で花火を作り続け、江戸時代の度重なる飢饉の年も、戦中戦後の不況の中でも絶えることなく奉納されてきたことに村人の想いの強さがうかがえます。
現在は2つの保存会の会員が「火薬類製造免許」等の資格を取得し、火薬の調合法から花火の種類まで、それぞれに互いの技を競い合いながら独自の技術を伝承しています。「火薬を管理する施設の維持など、花火を上げるには厳しい規制がありますが、先祖から伝わる伝統の花火を守ることへの使命感と義務感のなかでやっています」と、下清内路煙火有志会会長の桜井久さん(48歳)は話します。
近年、清内路村の手づくり花火は観光面でも注目を集めるようになりました。上清内路煙火同志会会長の原和機さん(54歳)は「花火は上げてみるまでわからないし、なかなか計算通りにはいきません。でも、それが手づくり花火の良さでもあり、厳しさでもあります」と語ります。
今年も、さまざまな仕掛花火が、村の秋祭りを賑わすことでしょう。花火に託される熱い想いがある限り、伝統的な花火製造技術はこれからも受け継がれていくことでしょう。

清内路村の手づくり花火
平成4年(1992)上清内路と下清内路の手づくり花火が県指定無形民俗文化財に指定。享保年間から続く伝統花火で、毎年10 月6日上清内路諏訪神社、第2日曜日に下清内路諏訪神社と建神社の秋祭りに奉納される。

8月下旬から火薬擦りの作業が、上清内路・下清内路のそれぞれの作業所でおこなわれる。下清内路地区では大きな鋳物の薬研(やげん)を用い、上清内路地区では擂り鉢を天井に固定した擂り粉木(すりこぎ)で擦(す)る。炭が鼻の中にまで入り、顔じゅう炭だらけになる忍耐力のいる作業。

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