地域文化連載「風土が育む 郷土の食」

Vol.05 鯉こく 佐久市

「笑顔の源は 受け継がれるふるさとの味」

長野県は海なし県。海魚はごちそうとして、塩漬けや干したものが一年の大切な節目の行事に用いられた。鮮魚といえば、山々の清流が作り出す河川や湖の川魚(淡水魚)が、山国の貴重なたんぱく質源として食されてきた。

長野県東部の佐久市には、古くから身近な食材に鯉がある。年末年始、祭事、祝事、来客時にと鯉料理が作られる。農村生活マイスター(※)で佐久市農家の井出道子さん(74歳)は「鯉は昔も今も佐久のおごちそう。たくさんの人に食べてもらいたい」と話す。鯉は身・内臓・皮と余すところなく食べられ、滋養が高く、病人や産婦の見舞いに贈られた。「昔は贈答品に生きた鯉を新聞紙にくるみ、電車で東京まで。鯉は生命力が強く、池に放すと泳いでいた」と井出さん。

佐久鯉は、江戸時代天明年間(178188)、桜井地区(佐久市)の呉服商臼田丹右衛門が大阪から淀鯉を持ち帰ったことが始まりとされる。佐久平は南北に千曲川が貫流し、両岸の広大な沖積地は稲作地帯。発達した用水と湧水が豊富な水源をもたらす。「水田養鯉(ようり)」という方法が、江戸時代から昭和の高度成長期頃まで広く行われた。田植え後の水田に鯉の稚魚を放し、養蚕の副産物である蛹(さなぎ)を与えて成育させる。同時に鯉は、田の水草や害虫を捕食し田面をかき回して稲の生育を助ける。落水期、たわわに実った稲穂を掻き分け、鯉をとり揚げる光景は秋の風物詩といわれた。3年鯉(切鯉(きりごい))は出荷され、2年鯉(中羽(ちゅうっぱ))や1年鯉(当歳(とうざい))は水路を引き込み敷地内に設けられた池に放され、越冬させて翌春田へ戻したり、家庭で食用とされた。井出さんによると「当歳鯉を背開きにして焼き、保存のため藁づとにさして干す。焼いて味噌をつけたり、煮て食べたりした」という。大正時代頃まで業者が集荷した鯉は、盤台(はんだい)というたらい状の桶に入れて天秤棒で担ぎ、諏訪、群馬、山梨方面の温泉地や料理屋などへ行商された。湯治客は生血も好んで買い求めたという。

井出さんと共にマイスターとして活動する小池さん、中沢さん、長岡さんは「春や秋の祭りには桜井から鯉売りが来た。買って帰り家で煮てもらって食べた。その家ごとに煮方があり、実家や嫁ぎ先で覚える。鯉こくに欠かせない味噌は今も自家製。味噌部屋の環境や塩分、発酵度合いでその家の味噌になる。鯉こくの味付けはその味噌に合わせるので、それぞれの家庭の味に仕上がる」と語る。

先人の努力と工夫により受け継がれてきた佐久鯉は、地域の振興と人々の暮らしを支え、さらに健康も支えてきた。長寿の里と呼ばれる佐久平に、笑顔の源「鯉」がいつまでも元気に泳ぎ続けることを願う。

(※)長野県農村生活マイスターとは、「地域農業の振興・農家生活の向上・村づくり活動」に女性の立場から取り組む地域の実践的リーダーとして県が認定する制度。

(地域文化№98・2011秋号 掲載) 

 

周囲に浅間山や八ヶ岳連峰が望める。気温の年較差・日較差ともに大きく、冬には浅間颪(おろし)と呼ばれる冷たい風が吹き下りる

鯉こくは鯉の「濃醤(こくしょう)」の略。「濃醤」は濃く仕立てた味噌汁を実と一緒にじっくり煮込んだ汁物のこと

千曲川の清流が身のしまった臭みのない鯉を育てる。鯉は薬用魚といわれ、中国最古の薬物書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』にも薬効が記される

(左から)小池さん、中沢さん、長岡さん、井出さん。農家を支える明るく気丈な皆さんの間には笑い声が絶えない

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