地域文化連載「風土が育む 郷土の食」

Vol.04 七夕ほうとう 松本市

「お星さまに捧げるごちそう」

 

願いを込めた短冊を笹に吊るし星空を見上げる七夕。牽牛星と織女星の再会を願い、天の川に雨が降らないようにてるてる坊主を吊るした。一方農村では、七夕に雨が降れば秋は豊作に恵まれるといい雨を求めた。星祭の印象の強い七夕行事ではあるが、貸小袖、禊祓え、盆迎え、農耕儀礼、道切りなどの諸相をもち、身近な生活に根ざしてきた習俗である。

長野県では主に月遅れ87日に行う。松本市の七夕人形は国の重要有形民俗文化財に指定され、古式の七夕の様相を伝えている。木型の人形に子どもの着物をかけて吊るし、季節の野菜、煮物、まんじゅう、そしてほうとうが供えられる。

 

松本市出川に暮らす青木種男さん(80歳)充子さん(78歳)ご夫婦によると「子どもの頃から七夕にはほうとうをお供えして食べていた。戦時中は、特に米の供出が多く割り当てられたため、粉ものが常食だった。地粉でうすやき、ほうとう、うどんを作り、味噌や野菜と煮込むぶっ込み、緩くかいて汁に入れるだんご汁などが多かった」。

七夕ほうとうは、ゆでたほうとうを水にさらし、きな粉や胡麻、小豆餡をかけたもの。「主にきな粉が多く使われた。農家では自家製のきな粉が常備され、おにぎりやご飯にもまぶした。小豆餡は、冷蔵庫もない時代、また忙しい蚕の世話に加え農繁期に作るのは大変だった」と充子さん。

なぜ七夕にほうとうなのか、由来はわからないが、身近な食材に当時貴重な甘味をかけ、七夕様へのおもてなしの気持ちを込めたのだろうか。

 

松本市は、北アルプスや筑摩山地から流入する女鳥羽川、薄川、梓川、奈良井川など多くの河川による複合扇状地。豊かな湧水、水路や井戸など、七夕とも深い関わりをもつ「水」が地域の風光に溶け込んでいる。

江戸時代の文献に「信州一の都会にて・・」と記され、古くから城下町や街道の宿場町として風情ある町並みを備えている。また江戸から明治にかけ、手まりやお神酒の口、技法が七夕人形にも活かされた押絵雛など、伝統工芸が士族を担い手として発展した。七夕行事が盛行された素地が、これら松本ならではの魅力に見られる。

 

充子さんは幼い頃の思い出を語ってくれた。「山はまわるまわる 雪がふるふる がけっぱたに木いっぽん なあに山は石臼、雪は挽かれて落ちる粉、木は石臼の取手。なぞなぞをしながら祖母が粉を挽く手伝いをした。当時の情景は忘れられない。一緒に料理をすると思い出に残り、思い出すこともまたお互いに嬉しいこと」と。

昔の家庭には、日常の光景の中に食育の基礎がある。七夕ほうとうを作る思い出は、美味しいほうとうをごちそうになった七夕様からの贈り物かもしれない。

 

(地域文化№97・2011夏号 掲載)

中国の二星伝説と七夕(しちせき)に行う乞巧奠(きこうでん)が、棚機津女(たなばたつめ)の伝承と合わさり七夕(たなばた)になったといわれる

写真は、きな粉をかけた七夕ほうとう。お盆にも作られる。他に小豆や胡麻などもかけられ「あずきほうとう」とも呼ばれる

「粉ものは繊細で、わずかな気候差にも左右される。何十年とやっても着物と同じで、これで良しというのはない」と充子さん

自給自足の生活を送る青木さんご夫婦。畑で収穫した食材で、充子さんが作る昔ながらの料理は、体も心も癒されるやさしい味

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