地域文化連載「風土が育む 郷土の食」

Vol.03 からすみ 木曽郡南木曽町

「山のからすみは子どもの大好物」

「からすみ」と聞いて思い浮かぶのは、魚類の卵巣を塩漬けにして干した九州の高級珍味「カラスミ」あるいは中国製の墨「唐墨(からすみ)」である。長野県木曽南部から下伊那南西部、また隣接する岐阜東濃、愛知東三河地方という山間の地域に、もうひとつの「からすみ」がある。桃の節句に作られる柔らかな甘味の米粉菓子で、名前の由来は、子宝に恵まれるといわれる魚の「カラスミ」を模した、または形が「唐墨(からすみ)」に似ているなどといわれている。

南木曽町は、木曽山脈の南端に位置し、中央には南木曽岳がそびえ、木曽川が貫流する山岳地帯。かつて中山道の十一宿が置かれた木曽路は東海道の裏街道と呼ばれ、険しい峠の道であったが、四季折々、風光明媚な自然の中を多くの旅人や文人墨客が訪れ、行き交う人々の出会いが新たな文化の架け橋になっていた。また豊かな森林を有す木曽谷では、古くは木年貢が納められ、それらは近江、紀伊、大坂方面へと流通し、同時に畿内の様々な技法が伝えられた。中でも南木曽町は、東西南北に通じる経路を持つ交通の要衝であった。

南木曽町の妻籠宿に暮らす伊藤君江さん(69歳)によると「からすみは、月遅れ四月の桃の節句に、子どもの成長を願って菱餅や甘酒と一緒に雛壇に供え、初節句祝にはたくさん用意して親戚やお客に持たせた」という。また、白砂糖がまだ高価だった頃、ほのかに甘いからすみは子どもたちの楽しみのひとつだった。伊藤さんのご主人は「子どもの頃、からすみを作ってもらうと嬉しくて嬉しくて。固くなっても大事に少しずつ食べていた」と思い出を語る。

からすみの木型は富士山や恵那山ともいわれる山型をしている。「我家の木型は明治時代のもの。今は家庭で作られる機会が減り、この風習を知らない子どもたちが増えないよう大人がやって見せなければね」と伊藤さん。時代が豊かになるにつれ、時期を選ばず作られるようになり、贅沢な伝統菓子から身近な茶請けとして、その位置づけを変えながら地域の懐かしい味として親しまれている。

「木曽路はすべて山の中である」(『夜明け前』)。食糧事情は決して豊かとはいえず、厳しい自然環境のもと食に工夫を凝らしてきた木曽谷。からすみの意外なネーミングにも、山間にして文化の交流路だった土地ならではの楽しみや遊び心が感じられる。長い冬が過ぎ、待ちわびた春の訪れとからすみを歓ぶ子どもたちの顔が目に浮かぶ。

(地域文化№96・2011春号 掲載)

中山道妻籠宿。道はさまざまな文化を運んだ

白色の他、黒糖・胡桃・干し柿・胡麻なども入れられる。花・竹・鯛は、雛壇に彩りとして添えられ、名古屋の「おこしもの」によく似ている

米粉に砂糖と塩を加え、よくこねて蒸す。木型で山形の筒状におこし、もう一度蒸す。「手間はかかるが手順を省かない事が大切」と伊藤さん

見事な連係でからすみを作ってくださったご近所同士の(左から)松川さん、伊藤さん、嵯峨さん。地域のつながりが深く、大切にされている

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