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「信州の城跡」
中沢定幸・大井川茂
①林大城(松本市里山辺金華山)
林城は、清和源氏の流れをくむ信濃の守護 小笠原氏が居城とした山城である。城は大城と小城とからなり、写真は豪壮をうたわれた大城(本城)。往時の面影は、今日、主郭の東に残る石垣で偲ぶことができる。林城は武田氏との戦に敗れ落城するが、城跡は、現在では市民の憩う公園として整備されている。
②根小屋城(小県郡真田町大字傍陽大庭)
周囲を岩壁に囲まれた天然の要害根小屋城は、真田町の中心部より地蔵峠に向う左手に位置する。容易に登攀を許さず、矢弾を寄せ付けないその絶壁は、戦国の風貌そのものである。村上氏によって築城されたと伝わり、同氏の衰退後、武田家家臣が城主となったが、更にその後、主先を真田氏に替えるなど、変遷を経ている。
③大島城(下伊那郡松川町元大島)
大島城は天竜川に突き出た台地に築かれている。堀に見立てた天竜川と、高さ約30mの台地の城壁とが、この城の守りの要衝であった。隣国遠江、三河、美濃に繋がる街道沿いに位置し、軍略上の拠点とされたが、本能寺の変の三ヶ月前に、織田軍の攻撃によって自落している。
④雁田小城(上高井郡小布施町大字雁田)
県内随一の岩積みを誇る雁田小城である。その石組みの技術はきわめて高く、高梨氏による築城後、北条氏に備える上杉氏により完成されたとみられる。福島正則の菩提寺岩松院の裏山に所在し、急斜面を登った先にこの岩積みが現れる。眼前には小布施の町並みが広がり、かなたには黒姫高原や妙高高原の山並みを望む。
⑤霞城(長野市松代町大室)
長野市松代町大室の豪族、大室氏の居城。敵が攻めてくると、霞がかかったように見えなくなることが城名の由来。見どころは主郭付近に残る石塁。「ひずみ」・「折れ」のある石を巧みに用いて堅固な石積みとしている。大室氏は武田氏滅亡後、織田信長の家臣、森長可に仕えたが、森長可が小牧・長久手の戦いで没した後は上杉景勝に従い、会津移封に同道している。
⑥祢津城(東御市祢津)
祢津城は信濃の名族滋野氏の流れを汲む祢津一族の居城。同城には上の城と下の城とがあり、写真は下の城。主郭の北に残る堀切とそこから伸びる長大な竪堀が見所。堀の一つは堀切から横堀へと変って裾を周り、そこから竪堀へと変化している。祢津氏は海野氏に属していたが、その後、村上氏、後には武田氏、北条氏、真田氏と主先を替えている。
⑦日岐城(東筑摩郡生坂村日岐)
日岐城は大きく蛇行する犀川の、半島状に張り出した丘陵の端に築かれた山城。城主日岐氏は、大町の名族仁科氏の流れを汲む。同城は、その立地から、物見あるいは有事の際の避難郭とみられ、本郭、副郭、三の郭からなる。三の郭には、刀鍛冶がいたとされ、「かじ平」名で呼ばれる。城主の日岐氏は信州の諸城の例にもれず、武田氏、上杉氏、小笠原氏と主家を変遷させている。
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