信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

穂高神社の御船祭りの習俗 見る者を圧倒する大人船の衝突

県指定無形民俗文化財 【安曇野市】

由来・次第

 海人族(わたつみぞく)である安曇氏の祖先神をまつる穂高神社の御船祭りは、安曇氏中興の祖、安曇比羅夫(あづみひらふ)が白村江(はくすきのえ)で戦死した日にちなんでの追悼の祭りと考えられ、安曇氏にとってこの日は重要な日にあたる。
 祭礼の起源は中世をくだらないとされ、鎌倉・室町と時代を経るに従い、祭りも神賑的風流化により美麗の度を増し、同時に芸術性も増した。江戸時代には歌舞伎的影響も加わり、今日に至ったと考えられる。
 船の組み立ては毎年行われ、近年は腹の部分を組む「なるの木」のみ新しく山から伐り出され、地元氏子(健壮団、睦友社、一真会、七星会)により組み立てられる。穂高人形飾り物は、歴史・伝説を題材にし、地区の先輩や経験者の指導により受け継がれ、他所からの技法を入れず、伝統的な技術に自由な創作で毎回制作している。
 9月27日、大人船2艘(穂高町・等々力町の両区、穂高区)と子供船3艘(等々力町区、穂高区、穂高町区)は、南神苑に入り、順序よく並んで待機する。御布令(おふりょ)神事が始まり、御船の中で笛・太鼓のお囃子を載せて待機していた御船が、等々力町区の子供船を先頭に入る。はじめに子供船がそれぞれ神楽殿を3周し、鳥居から去っていく。続いて両町区の大人船が入場し、1周目の終わる頃、穂高区の大人船が入ってくる。大人船の衝突が繰り返し行われ、祭りはクライマックスを迎える。

(写真 カシヨ株式会社)

●開催日/9月27日
●開催地/安曇野市穂高 穂高神社

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