信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

流鏑馬の神事 射手を子どもが担う流鏑馬

県指定無形民俗文化財 【大町市】

由来・次第

 流鏑馬は、武士が武技を練った犬追物(いぬおうもの)や笠懸(かさがけ)といった馬術とは別に、宮廷や神前で行う神事として発達し洗練されてきたものである。若一王子(にゃくいちおうじ)神社の流鏑馬は、承久3年(1221)、後鳥羽上皇が北条義時追討の宣旨を発した折、仁科盛遠が出陣に際し、神前に流鏑馬を奉納し、武運を祈ったことに始まるとされる。
 この流鏑馬のいちばんの特徴は、射手を子どもが担うことである。なお大町では、流鏑馬を「射隊(いたい)」、射手を「イタイボボ」「ボボ」などとも呼んでいる。射隊は、大町市内の三日町、大黒町、九日町、六九町、白塩町、北原町、上仲町、下仲町、南原町、仁科町から十騎がでる。昼過ぎ、本通りに現れた射隊は五日町に集結する。そして夕方、五日町を出発し、本通りに設置してある的場に矢を射ながら、途中で巡行改めの儀を行い、神社へ向かう。境内に入るとイタイボボは、まず3つの的のある的場を矢を射ずに3回まわる。次に、矢を射ながら3回まわる。最後に、氏子総代が的を持ち、イタイボボの矢に付けるやり方で3回まわる。イタイボボは昇殿参拝を行い、神事が無事に終わったことを神前に報告する。各イタイボボは的板と矢を受け取って辞する。この的板と矢は、持ち帰って神棚に供えたり、祖先に報告し、その年の加護を祈る。
 時代により神事の形態は変化しているが、その祈願するところは、その年の豊作を願う年占いの習俗として伝えられてきたようである。

(写真 大町流鏑馬保存会)

●開催日/7月第4日曜日
●開催地/大町市大町 若一王子神社

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