信州の伝承文化 -長野県無形民俗文化財-

跡部の踊り念仏 軽快に跳びはね、無我の境地にひたる

国重要無形民俗文化財 【佐久市】

由来・次第

 跡部の踊り念仏は、胸前につけた鉦を打ち鳴らし念仏和讃を唱えながら、太鼓方の音頭にあわせてその周囲をまわって跳ね踊り、恍惚無我の境地にひたるというもの。
 踊り念仏は、弘安2年(1279)、時宗の開祖一遍上人が信州佐久郡伴野庄(ともののしょう)(佐久市野沢)を訪れ、小田切の里(佐久市臼田)で初めて行ったといわれる。その後、佐久各地へ普及し、江戸時代には、一帯の村々でも行われ、仏事信仰と芸能が融合した庶民の楽しみとなっていたようである。戦前は、跡部に近い平井、日向の両地区でも踊り念仏がまだ残っていたようだが、現在まで受け継がれているのは跡部のみである。
 踊り念仏は西方寺本堂内の「道場」と呼ばれる場所で行われる。踊り手8人、太鼓方1人の計9人が一組となり、低頭し一礼して「南無阿弥陀仏」と唱えながら道場へ入る。先頭に立つのは「讃(さん)しき」と呼ぶ音頭取り。続いて、鉦を胸前につけ撞木(しゅもく)を手に持った踊り手が入っていく。まず「南無阿弥陀仏」を唱える平念仏があり、これが終わると全員が太鼓の音頭にしたがって鉦を打ち鳴らしながら、踊躍歓喜の乱舞を行う。その後、踊りは緩やかなテンポとなって再び静かな所作に戻り、道場を出て、次の組と交替する。すべての組が踊り念仏を終えると、知恵団子が配られ、皆で踊り念仏の福をわかちあう。

(写真 佐久市教育委員会)

●開催日/4月第1日曜日
●開催地/佐久市跡部 西方寺

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