ふるさとの文化財を守り伝える心

Vol.21 人びとの心を繋ぐ獅子舞 大島山瑠璃寺の獅子舞

伊那谷獅子舞の源流とされる「大島山瑠璃寺の獅子舞」は、雄大な南アルプスを東に望む下伊那郡高森町大島山の瑠璃寺で4月第2日曜日に奉納されます。その起源は瑠璃寺が創建された天永3年(1112)までさかのぼるともいわれ、江戸の後期には現在のような獅子舞の型になったとされています。
獅子舞は幌(ほろ)を掛けた大きな屋台を胴体とし、この中に獅子頭の使い手数人と10数名の囃子(はやし)が入って練り歩くといった独特なもの。獅子使いの宇天王は優雅な所作で獅子をあやつり、獅子のまわりでは猿と鬼が宇天王の舞を助けます。独特な所作やお囃子は年数を重ねてようやく覚えるようになります。
かつて、大島山の地区では学校を卒業した若者が獅子舞に関わることは当たり前とされていましたが、若い担い手の減少や若者と地域との関わりが薄くなるなかで、母体となる組織が消滅。そのため、昭和49 年に大島山獅子舞保存会が立ち上げられました。
現在、獅子舞との関わりは地区の壮年団に入る35歳位から始まります。壮年団があることで獅子舞が次の世代に受け継がれ、他の地からこの地に来た人達にも獅子舞を通じた和が広がっていきます。後継者集めには苦労がありますが、保存会の方の努力もあり、一時期と比べると若い担い手は増えているそうです。
獅子舞を次世代に伝えるために、10年ほど前からは宵祭りの前段に子ども獅子舞をおこなうようになりました。「まずは子どもたちに楽しいと感じてもらいたい。そこから興味を持ってもらえれば」と語る福田渉さんは、現在子どもたちへの勧誘に熱心に取り組んでいます。
地域の連帯が薄れてきている今日、保存会長の本島喜代人さんは「ここでは獅子舞があることで地域の人びとが心ひとつになることができます」と語ります。大島山瑠璃寺の獅子舞はこうして年長者から若い人たち、そして子どもたちへと世代を越えて地域の人びとの心を繋いでいきます。

「大島山瑠璃寺の獅子舞」(平成16年長野県無形民俗文化財指定)
獅子舞は比叡山の坂本日吉社から迎えられたとされ、瑠璃寺本尊薬師如来の縁日とその守護神である日吉神社の春の祭礼に奉納されてきたといわれる。全国的にも珍しい舞楽系の獅子舞が京から遠いこの地に残されている

練り歩く獅子舞の周りでは猿が愛嬌をふりまく。猿は御幣をちぎって鼻の頭でこすり、見物人に渡す。これを頂くと「知恵がつく」「厄除けになる」などと言われる

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