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有形文化財

憲徳学校扁額 ケントクガッコウヘンガク 1点

指定区分・種別市-指定-有形文化財
内容歴史資料
指定年月日平成 29/03/01
時代区分明治時代
年代明治初期
作者
所在地中野市若宮619(若宮公民館)
寸法・材質・形状縦66.5cm、横208.5cm、厚さ2cm
概要解説大字若宮に明治初期に存在した憲徳学校の扁額である。明治5年(1872)、明治政府は学制を発布し、長野県では明治6年(1873)以降、学校の創設に力を入れ始める。明治6年(1873)11月、高井郡中野町に研智学校を開校し、高井郡若宮村正翁寺内に支校が設置された。この支校は明治7年(1874)12月に憲徳学校として独立した。その後、明治10年(1877)5月に宮浦地籍(現若宮八幡宮脇)に校舎を新築して移転し、明治19年(1886)4月に間長瀬学校に統合されるまで存続した。当扁額は憲徳学校に掲げられていたものと思われる。学制発布にともない、高井郡若宮村は戸長田中孫重・副戸長田中吉蔵・正翁寺住職猪瀬大定が申請人となり、学校設立を申請した。この提案は、金井村・竹原村・一本木村の同意を得て、若宮村が主導して立案し、憲徳学校を自村に設立した。憲徳学校扁額は、学校設立とほぼ同時期に書かれたものと思われ、中野市における明治初期の学校設立の証左として貴重である。
交通案内長野電鉄中野松川駅から車で10分

※ご注意ください:すべての文化財は見学が可能とは限りません。見学の際は、事前に関連する教育委員会へお問い合わせください。

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