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有形文化財

普願寺本堂と鐘楼 フガンジホンドウトショウロウ 2棟

指定区分・種別市-指定-有形文化財
内容寺院建築
指定年月日平成 04/01/04
時代区分江戸時代
年代本堂1747年(延享4)、鐘楼1851年(嘉永4)
作者 本堂―棟梁 越後国三島郡与板村丸山武兵衛  鐘楼―亀原和田四郎(和太四郎)嘉博
所在地須坂市小山353
寸法・材質・形状本堂―間口九間、奥行九間、全面に三間の向拝、銅瓦葺(元茅葺)、入母屋造。 鐘楼―桟瓦葺、入母屋造、一間四方、欅の白木造、石造袴腰上に建立。
概要解説 普願寺は県内の浄土真宗寺院の中でも最大規模の寺院である。寺伝によれば井上氏の一族が親鸞の弟子となり、武蔵国秩父群に一宇を建立後、正和3年(1314)に本願寺覚如上人より普願寺の号を賜ったという。観応2年(1351)に日滝村本郷へ、文明5年(1473)に南原へ、弘治元年(1555)に現在の地へ移った。元文2年(1737)に焼失後、延享4年(1747)に再建を果たし、現在の本堂が建立された。棟梁は越後国三島郡与板村の丸山武兵衛。向拝には多くの彫刻が見られ、蟇股には逸話に基づく赤牛が彫られる。正門右奥には鐘楼がそびえる。嘉永4年(1851)に、高山村を中心に神社仏閣の建築を手がけた亀原和田四郎嘉博の手によるもので、高い礎石の裾の広がりと四脚の踏張りが、屋根と鐘を支える。
交通案内長野電鉄須坂駅から車で10分

※ご注意ください:すべての文化財は見学が可能とは限りません。見学の際は、事前に関連する教育委員会へお問い合わせください。

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